時折、感銘を受ける氏の言葉だが、今回「子育て」に関しての言葉に感銘を受けたので紹介。
ちなみに、うちにも女の子が一人いる。
□404 Blog Not Found:生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい
親になるというのは、否が応でも子供にとっての権威となることでもある。
それゆえに、私は娘たちにこう言っている。
「我が家では、どんな時でも弾が正しい」、と。
それは、私が無謬でないこととは矛盾しない。むしろその逆だ。弾はしょっちゅう間違える。本blog名物のtypoを見るまでもなく。しかし「弾が正しい」としておくことで、娘たちは弾が間違っている場合にどう間違っているのかを説明し、実際に正しいのは何なのかを証明することを強いられる。もし私が「君の思う通りにしなさい」と返事をしていたら、娘たちが「仕事」から学ぶ機会がなくなってしまうではないか。
なるほどそういうことだったのか。
これは、子育てだけじゃない、会社や学校でも同じことが言える。
会社を例に挙げれば、極端な話、社員にとって権威となる上司がバカであればあるほど部下は育つのだ。
そして、便利が人を堕落させるように自由も人を堕落させる。
そう考えると日教組が進めてきた「校則の自由化、自主性尊重の教育」もとんでも教育だったということになる。
つまりはバランスが必要。
子どもには常に親であることの権威を見せつけつつ、決して強制や押し付けにならないように、間違いの無いよう導いてあげる。
そして、全てを頭ごなしに否定せず、自主性も尊重する。
やがて、親に向かって意見(文句)を言うようになれば子育ては成功なんじゃなかろうか?
そんな風に思いました。
□Yahoo!辞書 - けん‐い【権威】
1 他の者を服従させる威力。「行政の―が失墜する」「親の―を示す」
2 ある分野において、知識や技術がぬきんでてすぐれていると一般に認められていること。また、その人。オーソリティー。「心臓外科の―」