電車内で06年9月、女子高生に痴漢行為をしたとして東京都迷惑防止条例違反に問われた元大学院教授、植草一秀被告(46)に対し、東京地裁は16日、懲役4月(求刑・同6月)を言い渡した。
このように有罪判決が下った「植草一秀」氏だが、
一部では冤罪という声もあり、実際のところどうなのか分からない。
以下、植草氏の冤罪を信じて疑わないPJ(パブリック・ジャーナリスト)の記事より
一部引用させていただき、話を進めていく。
まずは今回の件よりも前に起こっていた2件について
1998年の事件2004年の事件が植草氏の立場を一転させた。その前に事件があったことを考えると確かに不自然かもしれない。
向かい側には女性が2人いた。植草氏は当時ももの付け根に湿疹があり、かゆさから2、3度左手でかいた。たまたま車掌が通りがかると向の女性が「この人感じが悪いんですが」と車掌に話し掛けた。
2004年の事件
電話を入れておかなければならない用を思い出し、携帯電話を掛けられる場所を探す。適当な場所が見つからず、エスカレーターで公衆電話コーナーに戻ろうとした。中程まで上がった所で、右ひじを後ろからつかまれた。
マスコミは植草氏に対し、一貫して悪印象を植え付ける記事や番組を発信している。その後、マスコミが植草氏の行為を面白おかしく書き連ねた。
見た目で判断して申し訳ないが、たしかに一見むっつりスケベ顔である。
場合によっては変質者と間違えられてもおかしくないかもしれない。
それが植草氏の一番の誤算でそのことによってさらに植草氏に災難が襲い掛かる。
テレビやラジオでは、芸能人が植草氏を変態呼ばわりして嘲笑(ちょうしょう)する。おそらく彼らは見た目で判断してしまったのだろう。
そしてそれはやがて一般人ブログにまで波及する。
インターネット上には植草氏を攻撃するためだけのブログがある。このあたりは楽しけりゃいーじゃん的なノリのネット世界にはつきものの愉快犯による行為だろう。
植草氏を擁護するブログには、執拗(しつよう)な批判を書き込む人が必ず居座る。2チャンネルにも。
これを植草氏本人は以下のように解釈している
政治権力としては世論を誘導することが大きな課題になっている。政治上、『メディアコントロール』が重視されているが、事件報道についても何らかの政治的な意味を持った事件については、メディアコントロールによってターゲットとなる人に打撃を与えることが意図されているように思う。つまり政治的策略である。ということらしい。
それが事実なら問題があるがおそらくそういったことはないだろうというのが僕の持論。
僕が思う植草氏の一番の誤算は、
前述どおり氏自身が「やりそう」な雰囲気を持っていたことだろう。
そのことで、テレビが騒ぎ、芸能人が騒ぎ、一般人がブログで語り始めた。
全て、有罪の元にである。(亀田家に対しての偏見とも重なるが。。)
僕自身は「有罪、無罪どちらか?」と聞かれても答えられない。
司法が判断するのであればそれが事実なのだろう。
ただ、今現在この件について書いてあるブログを見ると、
事件当時と比べ若干無罪主張のブログが増えてきているような気がする。
これはやはり、真実が徐々に見えてきているということなのだろうか?
□「植草一秀教授は無実だ」、検察が矛盾とわたしは見る
□「植草一秀教授は無実だ」、真相隠す大きな力(1|2|3|4|5)
□植草一秀元教授に聞く 痴漢えん罪事件と権力の闇(1|2|3|4|5|6|7)
知られざる真実―勾留地にて―
植草の社会主義経済観は、日本の衰退をもたらす。