経済学者池田信夫先生の以下の記事が大反響だ。

希望を捨てる勇気 - 池田信夫 blog
こういう将来を合理的に予測すれば、それに適応して生活を切り詰め、質実で「地球にやさしい」生活ができる。日本は現在の欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟したのだ。「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。
実は、僕もブックマークしていながら「次のバブルは環境(CO2)」に対しての答えを出されているようで触れなかったのだが、あらためてコメントも含めて読ませていただいた。


まずは「希望」について調べてみた。
Yahoo!辞書 - き‐ぼう【希望/冀望】
あることの実現をのぞみ願うこと。また、その願い。将来に対する期待。また、明るい見通し。
どちらかと言うと主観的なもので、個人個人違った「希望」を持っていると言える。

ところが、コメントなども見てみると、ここでは「希望」を「経済(お金)」と絡めて考えることで、総じて「経済的に豊かになること」=「希望」であって、今の社会システムでは経済的に豊かになることができない。というようなことを言っている人が多く見受けられる。

だが、「希望」ってのは決して経済的に豊かになることじゃない。
小学生レベルまで戻ってみればよくわかると思うが、
「プロ野球選手になりたい」「学校の先生になりたい」「お嫁さんになりたい」などといったことが「希望」であって、決して「プロ野球選手になって大もうけしたい」などという子はいないと思う。
で、それは我々の世代に戻ってみても同じことだと思う。
たとえば、「子ども」に希望を見出す人もいるだろう。
「ものづくり」に希望を見出す人もいるだろう。
中には「お酒」に希望を見出す人もいるかもしれない。
もちろん「お金」に希望を見出しても一向に構わない。

そしてもう一つ。池田先生も文中で「明日は今日よりよくなる」という希望と言っているように「よくなる」という概念。殊に「よく」といった意味。
経済的によくなるのももちろん「よく」なっていくことの一つだが、人間それだけが「よく」なっていくのではない。
たとえば若者の間で問題になっている「心」。これに関しては現状を変えるエネルギーを出すに足りる「絶望」だ。
そういった、経済では解決できない部分に関して、今度どんどん「よく」していかなければならない。
そして、そこにこそ「希望」がなくてはいけない。

次のバブルは環境(CO2)」を書いたときにちょっと感じていたのですが、物理的な経済的規模を縮小させることが環境にとって良いことに繋がる。
つまり「環境バブル」は考えようによっては矛盾していることとなる。
ただし、精神や心もお金で秤にかけていくような時代が来れば別。
仮に本当に「環境バブル」が起こったとしたらその第一歩なのかもしれない。
実際そんな時代がくるのかわかりませんが、おそらくそこまで人類はバカじゃないし、そこまでしなくても十分生活していけるのが今の日本。

要するに資本主義はもう日本じゃ時代遅れなんだと思う。

希望について - 池田信夫 blog

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