以前、梅田望夫氏や小飼弾氏が話題にし絶賛した水村水苗著「日本語が亡びるとき」。
実は、まだ読んでいないどころが買ってもいないのだが、池田信夫先生がその内容について言及している記事を見て。どうしようか悩んでいる。

日本語はすでに亡びている - 池田信夫 blog
本書はちょっと前にブログ界で話題になったようだが、妻が買って「つまらない」といって投げ出した。私もパラパラと読んでみたが、やはりつまらなかった。論旨が整理されておらず、何がいいたいのかよくわからないのだ。


何がいいたいのかよくわからない文章は嫌いです。
要するに、このまま放置すると英語が<普遍語>になり、日本語が<現地語>になって、日本文学が亡びるので守らなければいけないということらしいが、これは認識として間違っている。少なくとも学問やビジネスの世界では、日本語はとっくに現地語でしかない。
つまり「日本語が亡びるとき」で懸念されていることはすでに起こっているらしく、その原因は
日本語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。
と言っています。

ケータイ小説大賞を取った「あたし彼女」なんてのも日本語が発達しすぎた故の小説なのかもしれません。

一方で日本人が英語を使わなすぎることにも言及し、著者同様「危機的」とした上で
日本語でほとんどの用が足りるというのも、インターネットや科学の最先端ではもう当てはまらない。日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されているのだが、彼らは取り残されたことさえ気づかない。
といっています。
確かにインターネットを日本語だけでやっていると限界を感じます。
簡単な例として、日本のインターネット人口は総人口の7割近くで約9000万人ですが、
全世界で見るとまだ総人口の20%にも満たないのに10億を超えています。
単純に計算するとブログを世界共通語で書くことでPVが現在の10倍を超えるわけです。(もちろん実際はそうは行かないと思いますが。。)
さらにこれからの伸び代を考えると、もう日本語じゃダメということになりますよね。
世界四季報: 世界のSNS会員数分布マップ

この問題の根本にあるのは日本の英語教育が間違ってしまったこと。
(ちなみに僕は中学校で英語の授業が始まった段階で無駄だと判断し、その結果、成績は見るも無残なものとなりました)
池田先生もそのところを指摘し、
英語の授業では、まともに発音もできない先生が小説を重箱モードで解釈し、1年かかって100ページぐらいの薄い教科書を読む。こんな教育をしていては、大量の英語の文書を読んで表現することは絶対にできない。国語や英語の授業は廃止し、英語はすべて語学学校にアウトソースして、大学入試の語学はTOEFLで代えるべきだ。
といっています。

以上が池田先生の主張で僕もその意見に賛成です。
ということは、おそらく「日本語が亡びるとき」を読んだ感想も「何がいいたいのかよくわからない」といったものになってしまうのでは?
なんて単純に判断してしまいそうになっていたのですが、
考えてみたら読まずに判断するなんて本末転倒。梅田さんにしかられちゃいます。
たとえ、自分に合いそうにない本でも、読めば何らかの糧になります。
ということで、とにかく読んでみることにしました。

できれば年内に読みたいんだけどボーナスカットされちゃったしなぁ。。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
著者:水村 美苗
販売元:筑摩書房
発売日:2008-11-05
おすすめ度:4.0
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